大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)699号 判決 1962年10月31日
控訴人(附帯被控訴人) 株式会社京都新聞社 外二名
被控訴人(附帯控訴人) 戸川治之
主文
附帯被控訴人(控訴人)らは、各自、附帯控訴人(被控訴人)に対し金三〇〇、〇〇〇円とこれに対する昭和三四年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合いによる金員を支払え。
附帯控訴人(被控訴人)のその余の請求を棄却する。
附帯控訴費用はこれを五分し、その三を控訴人(附帯被控訴人)らの、その余を被控訴人(附帯控訴人)の各負担とする。
この判決は、附帯控訴人(被控訴人)勝訴の部分に限り、附帯被控訴人(控訴人)らに対し、各金一〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、それぞれ仮に執行することができる。
事実
控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人と略称する)ら代理人は、控訴の趣旨として、「原判決中控訴人ら勝訴部分を除きその余を取り消す。被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人と略称する)の請求を棄却する。」との判決を求め、附帯控訴につき、「本件附帯控訴を棄却する。」との判決を求め、変更後の新請求につき、「被控訴人の請求を棄却する。」との判決を求めた。
被控訴人代理人は、控訴につき、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求め、附帯控訴の趣旨として、まず「原判決中被控訴人勝訴の部分を除きその余を取り消す。控訴人らは、各自、朝日新聞社大阪本社、毎日新聞社大阪本社、大阪読売新聞社、日本経済新聞社、京都日之出新聞社、夕刊京都新聞社、産業経済新聞社各発行の朝刊紙(ただし京都日之出新聞社および夕刊京都新聞社の両社は夕刊紙)に原判決添付の別紙第二記載の謝罪文(「謝罪広告」「京都新聞社」は二倍半のゴヂツク、年月日は一倍、本文は二倍の活字を用う)を社会面突出し二段に掲載せよ。訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの負担とする。」との判決を求めたが、その後右請求の趣旨を「控訴人らは、連帯して、被控訴人に対し、金五〇〇、〇〇〇円とこれに対する昭和三四年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの負担とする。」と変更し、かつ、仮執行の宣言を求めた。控訴人ら代理人は右訴えの変更について異議なくこれに同意した。
当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、次に記載するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
事実関係
控訴人ら代理人は、次のとおり述べた。
一、別紙記載の本件記事を控訴人楢原が執筆したことは認める。
二、たとえ、本件記事によつて、被控訴人の名誉がき損されることがあつても、右記事にいう不正入試事件は真実あつたことである。また、同記事中、「被控訴人は右不正入試事件で名の出た人である」とか、「被控訴人夫人が合格発表の前にその受験生(山本受験生を指す)の合格を知らせた」との点、ならびに、これらの事実によつて、被控訴人が右不正入試事件において入試問題をもらしたのではないかとの疑惑が、同志社大学入試実行委員会による調査打切り後も解消していない点は、いずれも真実である。しかも、本件記事は公共の利害に関する事柄で、公益を図る目的を以て書かれたものであるから、控訴人らにおいて名誉き損の責任を負う筋合いはない。
三、本件記事は、過去の報道記事に即して批判的に記述されたものである。新聞は、社会の出来事を記事として報道するばかりでなく、これらの記事について批判することも当然許されている。特に、本件記事は、「新大学物語」として回顧的、歴史的に記述されているものであるが、そこで人物月旦をする場合に、単に過去の事実を記載するばかりでなく、これを批判することも当然許さるべきものである。本件記事における「その裏に事件の真相をとくカギが秘められていることも考えられる」という点は、本件不正入試事件についてなされた被控訴人夫妻、永本夫妻、山本父子の対決により、被控訴人夫妻が他の四人と初対面であるという点は明確になつたけれども、かえつて、電話、手紙で交渉があり、また特に入学発表前に被控訴人の妻より合格通知の電話連絡があつたことが確認され、ついに疑惑を解消するに至らなかつた。そこで、「その裏に事件の真相をとくカギが秘められていることも考えられる」と自然に生ずる批判的記事が表われたものである。したがつて、不正入試事件が発生したこと、被控訴人が入試問題を漏洩したのではないかとの疑惑のあつたことが、その当時から存在して未解決のままであることは、真実の事柄である。控訴人楢原は漫然と本件記事を執筆したものでなく、かつ、取材、表現上の過失があるものではない。
被控訴人代理人は、次のとおり述べた。
一、本件記事における、「その裏に事件の真相をとくカギが秘められていることも考えられる」という点が被控訴人の名誉をき損するのである。新聞は、控訴人の主張するように、社会の出来事を記事として報道するばかりでなく、これらの記事について批判することも当然許されているが、右のような、事実無根の、単なる想像による暴言は、いかに言論自由の時代といえども、許されない。このような記事を書き、人の名誉を侵害する行為は、報道力が強ければ強い程、厳に慎しむべきである。
二、被控訴人およびその妻と永本夫妻らの間に控訴人が主張するような程度の親密関係があつたということと、被控訴人が試験問題をもらしたということは到底つながりを持ち得る事柄ではない。まして、一面識もなかつた間柄であるにおいてはなおさらである。控訴人は、同志社大学当局による調査打切り後も被控訴人に対する疑惑は解消していない、と主張するが、右調査打切りは、同志社大学当局の力では、果して入試問題が漏洩されたのかどうか、漏れたとすれば誰によるものかを徹底的に究明する方法がなかつたということによるものであり、この限りでは、漏洩問題は疑惑のままに残されているということができるが、被控訴人の潔白は、対決の結果、立ち会つた新聞記者その他の人々の間で信ぜられるに至つたもので、右対決に三〇分も遅刻し、対決当事者の話合いを聴取していなかつた控訴人楢原のみが現在もなお疑惑を主張するに過ぎない。
三、被控訴人は、年月の経過により、謝罪広告の掲載を請求するのは不適当と考えるに至つたので、本訴を慰謝料の請求に変更する。被控訴人は、同志社大学の現職教授であり、名誉侵害事実が入試問題を故意に漏洩したという事実であつて、現職大学教授にとつて致命的の事柄であり、被控訴人の受けた精神的打撃は極めて大きい。よつて、右慰謝料額は、金五〇〇、〇〇〇円をもつて相当と考える。
証拠関係<省略>
理由
本件控訴ならびに附帯控訴について。
被控訴人は、当審において、従来からの謝罪広告の請求を慰謝料請求に交換的に訴えの変更をし、控訴人は右訴えの変更に異議はなく、これに同意した。したがつて、原審の審判の対象であつた謝罪広告請求の訴えは、全部、取下げにより、初から訴訟の係属がなかつたものとみなされるので、当裁判所は、この部分に係る本件控訴ならびに附帯控訴について裁判することはできない。原判決が、右取下げにより、さかのぼつて効力を失つたことはいうまでもない。
附帯控訴による慰謝料請求の新訴について。
被控訴人は、同志社大学文学部教授、控訴人日高は、控訴会社京都新聞社の編集局長、控訴人楢原は、同社の同志社大学担当記者であること、控訴会社は、その発行にかかる京都新聞昭和三四年九月一九日付朝刊第二面「新大学物語」(六七八回)中に本件記事を掲載したこと、本件記事は、控訴人楢原が執筆したものであること、本件記事にいわゆる「昨春の不正入試事件」とは、昭和三三年三月一二日の控訴会社発行の京都新聞夕刊に掲載され、その後、在洛各新聞本、支局がとり上げ、当時、世間から疑惑の目でみられた同年の同志社大学第一次入学試験の試験問題の一部が山本勉という受験生に事前に漏洩されたのではないかとの疑いがかけられた事件であることは、いずれも当事者間に争いがない。
被控訴人は、本件記事はあたかも「不正入試事件」が真実であり、それに被控訴人が関与しているかの如く報道するものであつて被控訴人の名誉をき損するものであると主張し、控訴人らはこれを否認するので考える。成立に争いのない乙第九号証に前記当事者間に争いのない事実を併せ考えると、本件記事は京都新聞昭和三四年九月一九日(土曜日)付朝刊第二面に掲載された被控訴人ほか三名の同志社大学教授の顔写真入りの四段一二〇行のスペースの囲いものの一部をなし、昭和三三年の不正入試事件が疑惑を残したまま未解決の状態にあることを前提として執筆され、これを中心話題に置いての被控訴人の人物月旦記事と認められる。
その内容は次のごとく分解されるであろう。
昨春の同志社大学の入学試験に関し、不正入試事件が起り、問題となつた。「被控訴人は昨春の不正入試事件に名の出た人である。」問題の受験生はある家に止宿していた。その止宿先の主人は被控訴人の名を知つていた。その主人が同志社大学教授の中で名を知つているのは被控訴人だけであつた。ほかの教授の名は知らず、「名を知つているのは戸川という先生だけだといつて参考人にされたことがある。」(その主人が参考人にされたとも読めるし、被控訴人が参考人にされたとも採れるが、いずれの意味かは記事から不明である)。戸川ゼミ、すなわち被控訴人のゼミナールの卒業生に知合いがいてその関係で被控訴人の名を知つたということである。被控訴人は卒業生とのつきあいも多い。被控訴人の世話好きな人柄によるものであろう。しかし、被控訴人の妻の戸川夫人が「合格発表の前に、電話でその受験生の合格を知らせた」事実がある。それは、「たんに世話好きだけととることはできまい。」「その裏に事件の真相をとくカギが秘められていることも考えられる。」
そうだとすれば、本件記事は、まず「戸川治之は、昨春の不正入試事件で名の出た人である。」と冒頭して、被控訴人の名を未解決の不正入試事件にからんで想起させ、次で、被控訴人の世話好きの一面にふれつつも、「戸川夫人が合格発表の前に電話でその受験生の合格を知らせたというのは、たんに世話好きだけととることはできまい。」と反転し、更に、「その裏に事件の真相をとくカギが秘められていることも考えられる。」と興味と推理に訴えるのである。それゆえ、本件記事は、問題の個所については断定的表現はとつていないとはいうものの、一般読者をして、右にいわゆる「不正入試事件」が真実であり、被控訴人が入学試験問題を故意に漏洩したのではないかとの極めて濃厚な疑惑を印象づけるに十分であると認められる。原審ならびに当審における控訴人楢原本人尋問の結果によつては右認定を左右するに足らないし、他に右認定の妨げとなる証拠はない。
大学入学試験問題を当の大学の現職教授が受験生に漏洩し、もしくは漏洩したとの濃い疑いがあるということは、まことに由々しき大問題である。右記事が同志社大学教授の地位にある被控訴人の名誉を著しく傷つけるものであることは、明らかである。
控訴人らは、本件記事は、同事件が疑惑のあるまま調査打切りになつた当時の事実に即して、これを疑惑の状態として報道したにすぎないから、いずれも真実で、公共の利害に関する事項であつて、公益を図る目的をもつて書かれたものであるから、正当な記事であり、名誉き損を構成しないと抗争するので判断する。
原審ならびに当審における証人永本和夫の証言により真正に成立したものと認める甲第一号証の二、成立に争いのない乙第一ないし第八号証、同第一〇、第一二号証と右証言の一部(当審における証言中後記措信しない部分を除く)、原審証人相見志郎の証言、当審ならびに原審における被控訴本人尋問の結果、および当審ならびに原審における控訴人楢原本人尋問の結果の一部(後記措信しない部分を除く)を総合すると、次の事実を認めることができる。
右不正入試事件とは、昭和三三年一月二六日施行の同志社大学第一次入学試験の前日に、京都大学大学院学生訴外木村彰吾が、右試験受験のため訴外永本和夫方に止宿していた訴外山本勉より解答方を頼まれた「日本史」と「国語」の問題が、右入試問題と同一であつたことから、右入試問題が事前に山本受験生に漏洩されたのではないかとの極めて濃厚な疑いが持たれるに至つた事件であること、永本は、かつて同志社大学文学部に在学し、被控訴人の指導を受けて卒業論文を書いたことのある訴外岡本喜美子と同郷人である関係から、同女の在学中、自己の勤め先の映画館である「公楽会館」の映画の招待券を同女に送つてやつていたが、昭和三二年、同女が大学を卒業して京都を去つた後は、同女の依頼により、右招待券を被控訴人に送付していたこと、右のような関係から、永本は被控訴人の名前を知るようになつたが、後記の被控訴人との対決のときまで被控訴人と全然面識がなかつたこと、永本は、右試験の前日、山本受験生の受験番号を記し、こういう者が受験するからよろしく頼む旨の手紙を被控訴人あて発信し(当審証人永本和夫の証言中上記発信日についての右認定に反する部分は措信しない)、被控訴人は、翌日、試験終了後に右手紙を受け取つたこと、被控訴人は、入試合格発表の少し前、すなわち、合格発表の日の正午前頃、妻を通じ、電話で、永本の妻に、山本受験生が試験に合格した旨知らせたこと、永本が以上のような被控訴人との関係を新聞記者に語つたところから、昭和三三年三月一三日付京都新聞朝刊と同日付夕刊読売の右「不正入試事件」に関する記事中に被控訴人の名前が出るに至り、更に同月一五日付読売新聞朝刊に、同志社大学の某教授とその夫人が試験問題をもらした疑いが濃い旨の記事が報道されたこと、毎日新聞の記者から右某教授とは被控訴人を指すらしいと聞いた被控訴人は、身の潔白を証明するため、同日、約二時間にわたり、同大学において、新聞記者数名と同志社大学入試実行委員相見志郎教授立会いの下に、永本夫妻と対決し、その結果、被控訴人ならびにその妻は、永本夫妻、山本受験生父子と全然面識がなかつたことが明らかにされ、なんびとかによる試験問題漏洩の疑いはあるにせよ、被控訴人に対する試験問題漏洩の疑いは、一応解消したこと、控訴人楢原は、右対決の席へ約三〇分おくれて出席したこと、不正入試事件は、その後も同大学入試実行委員会で調査を続けたが、真相を解明するに至らず、同年四月一日、疑惑を存したまま調査が打ち切られたこと。以上の各事実を認めることができる。
原審ならびに当審における控訴人楢原本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、前掲認定に供した証拠に照らし心証を惹かず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
右認定事実によれば、被控訴人は、いわゆる不正入試事件でその名前が出た人物であること、不正入試事件は疑惑のあるまま調査打切りになつて、未解決の状態にあること、被控訴人の妻が、合格発表前に、永本の妻に、永本方に止宿していた山本受験生の合格を知らせたこと、永本は、同志社大学の教授の中で名を知つているのは被控訴人だけであつて、その名を知つたのは、戸川ゼミの卒業生に知合いがいて、その関係からであること、以上は、いずれも真実であつて、本件記事は、右の諸点では事実に符合するものがある。しかしながら、被控訴人が試験問題を漏洩したのではないかとの疑惑は、被控訴人と永本との間に文通があり、合格発表前に被控訴人の妻が永本の妻に山本受験生の合格を知らせたことから推測して、一度は報道関係者を中心に生じたことがあつたが、昭和三三年三月一五日の被控訴人と永本夫妻との対決で、被控訴人は永本夫妻と全然面識がないことが明らかになるとともに、被控訴人に対する右試験問題漏洩の疑惑は一応解消し、その後、その疑惑が再燃した事実はないことが認められるのにかかわらず、一年有半を経た昭和三四年九月に至つて、なお右不正入試事件に被控訴人が関係を有し、被控訴人にその試験問題を漏洩したのではないかとの極めて濃厚な疑惑が存するとして、これを読者に印象づける本件記事を掲載したのは、被控訴人と永本夫妻との、新聞記者その他の関係者の面前における対決の事実およびその結果に一言もふれなかつたものである以上、決して客観的真実を伝えるものでないといわざるをえない。よつて、控訴人楢原が、専ら公益を図る目的をもつて本件記事を執筆したものしても、名誉き損の違法性を阻却するものとすることはできない。
次に、控訴人らは、新聞は単に社会の出来事を記事として報道するばかりでなく、これらについて批判することも当然許されている。本件記事における「その裏に真相を解くカギが秘められていることも考えられる」という趣旨は、前記対決で、被控訴人と永本夫妻が面識がないことが明らかになつたが、一方ではまた、被控訴人が永本と電話、手紙で交渉があり、特に、被控訴人の妻が合格発表前に永本の妻に電話で山本受験生の合格を知らせたことも明確になつたので、これらのことから、被控訴人に対する試験問題漏洩の疑惑は依然解消するに至らなかつた。そこでで、この事実から、自然に、右のような「その裏に事件の真相をとくカギが秘められていることも考えられる。」という批判的記事が表われたのであつて、控訴人楢原に取材、表現上の過失はないと主張して争うので判断する。
本件記事は回顧記事であるが、もとより、過去の報道の再録ではなく、主観的批判を含んでいることは、すでに見たとおりである。そして、控訴人楢原が、社会悪たる不正を憎む意図を有し、その意図のほとばしりが本件記事にあらわれたものであることは、同控訴本人の当審での供述に照らし疑いを容れないが、控訴人楢原が、本件記事について名損き誉の責任をまぬがれるためには、それだけで終るわけにはいかない。
一般に、新聞は、社会から信用が極めて高く、またその社会に対する影響力が極めて大きいことは公知の事実であつて、大学教授の地位にある被控訴人が入学試験問題を故意に漏洩したのではないかとの極めて濃厚な疑惑を印象づけるに十分な本件記事が、ひとたび、新聞に報道されるときは、被控訴人の名誉を傷つけること甚だ大きいものと認められるから、本件記事を執筆するには、右疑惑の合理的根拠の有無につき慎重調査を遂げ、その結果、社会通念上、被控訴人が試験問題を漏洩した蓋然性が高く、被控訴人が右疑惑をうけてもやむをえないものと認められる場合であることを要するものと解する。ところで、原審ならびに当審における控訴人楢原本人尋問の結果によれば、控訴人楢原は、被控訴人に試験問題漏洩の疑惑を生んだ前記事実、すなわち、被控訴人と永本との間に文通のあつたこと、被控訴人の妻が合格発表前に永本の妻に山本受験生の合格を電話で知らせたことのほか、試験問題漏洩疑惑事件が新聞に報道された昭和三三年三月一五日に、控訴人楢原が柳井にいた山本受験生に電話したところ、同人から、名前は云えないが同志社大学の某教授から試験問題を教えてもらつた旨聞いた事実、ならびに、控訴人楢原がのちに柳井に出張して調査したとき、前記岡本喜美子から、永本和夫が柳井へ出張して来た際、同志社大学の受験問題をうまいこと隠すことができて、もう新聞記者のほうもよう掴まんようになつたともらしたということを聞いた事実があつためで、右各事実を総合して、被控訴人は、直接的か間接的かは別として、何か不正入試事件に関係があつたのではないかと判断し、本件記事を執筆するに至つたものであることが認められる。右認定事実によると、控訴人楢原が、被控訴人が入学試験問題を漏洩したのではないかとの疑惑を抱くについては、ただに、さきにみてきた一般報道関係者がとり上げた事実のみならず、そのほかに、控訴人楢原がみずから電話および柳井に出張して前記山本および岡本の両名から聞知したところを附加し、これら各事実を総合して、被控訴人が直接的か、間接的かは別として何か不正入試事件に関係があつたのではないかとの推測を下し、本件記事を執筆するに至つたものであることが認められる。しかしながら控訴人楢原が被控訴人に対する入学試験問題漏洩疑惑の根拠として附加したところの山本受験生の電話、岡本喜美子の談話の各内容は、それが真実を伝えるものとしても、これを詳細に検討すると、たかだか、なにびとかによつて、入学試験問題が漏洩されたのではないかとの疑惑を裏付ける証拠とはなり得ても、被控訴人が入学試験問題を漏洩したのではないかとの疑惑を裏付け得るものとは認め難く、さらに、右事実を、さきにみてきた一般報道関係者が被控訴人に入学試験問題漏洩の疑惑を抱くに至つた根拠となつた事実に附加し、これら事実を総合して判断しても、いまだ、社会通念上、被控訴人が入学試験問題を漏洩した事実を推測し得る蓋然性は甚だとぼしい。そうすると、控訴人楢原が右認定の各事実に基づき被控訴人が入学試験問題を故意に漏洩したのではないかとの極めて濃厚な疑惑を印象づけるに十分な本件記事を執筆したのは、新聞記者として、その取材、表現上要請される前記注意義務を怠つたものというべく、したがつて、この点について過失がなかつたとはいえないから、被控訴人に対する名誉き損の責任は免れないものといわねばならない。
そうすると、控訴人楢原が、被控訴人の名誉をき損した不法行為上の責任を負うのは勿論、控訴会社京都新聞社は、その被用者である控訴人楢原が控訴会社の事業の執行につき、被控訴人の名誉をき損したのであるから、控訴人楢原の使用者として、また控訴人日高は控訴会社京都新聞社の編集局長であるから、使用者に代わつて事業を監督する者として、いずれも、民法第七一五条によりその責めに任ずべきである。
そこで、被控訴人の蒙つた損害について審究するに、同志社大学文学部教授の地位にある被控訴人は、本件記事によつて、その名誉を著しくき損され、甚大な精神的苦痛を蒙つたことは、推認するに難くないので、その慰謝料額について判断する。
当審における控訴人楢原本人尋問の結果によると、控訴会社京都新聞社が発行する京都新聞は、本件記事が掲載された当時、朝夕刊を合わせて発行部数約五〇〇、〇〇〇部を数える地方紙で、新聞業界におけるランクでは、ベストテンのうちBクラスに属し、本件記事が掲載された「新大学物語」は、各大学の内部の喜怒哀楽、派閥争い、教授の生活の実態を明かにすることを目的として執筆されたもので、一般読者に多大の興味をひいた記事であつたことを認めることができ、一方、当審における被控訴本人尋問の結果によると、被控訴人は、同志社大学大学部英文科を卒業し、昭和二六年一二月から同科に奉職しているもので、現在月収約一二〇、〇〇〇円を得ているものであることを認めることができる。以上認定の各事実に、前に認定した本件記事の内容、控訴人楢原の過失の程度、その他本件にあらわれた諸般の事情をしんしやくすると、被控訴人の蒙つた右精神的苦痛に対する慰謝料は金三〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。
そうすると、控訴人らは、各自、被控訴人に対し、金三〇〇、〇〇〇円とこれに対する本件記事が掲載され、被控訴人の名誉をき損した日の翌日である昭和三四年九月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合いによる遅延損害金を支払うべき義務あることが明らかであるから、本訴請求は、右の限度で正当として認容し、その余は失当として棄却する。
よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九五条、第九二条本文、第九三条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 平峯隆 大江健次郎 北後陽三)
別紙
(前略)
吉岡と同じく英作文を担当している戸川治之は、昨春の不正入試事件で名が出た人である。問題の受験生の止宿先の主人が同志社大教授の中で名を知つているのは戸川という先生だけだといつて参考人にされたことがある。戸川ゼミの卒業生に知り合いがいて、その関係で戸川という名を知つたという。とにかく戸川は卒業生とのつきあいも多い。世話好きな人柄によるものだろう。しかし戸川夫人が、合格発表の前に、電話でその受験生の合格を知らせたというのは、たんに世話好きだけととることはできまい。その裏に事件の真相をとくカギが秘められていることも考えられる。(後略)